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野田かずさの生い立ち、プロフィールをご紹介します。
私、野田かずさの故郷は東村山です。
少年時代は泥だらけになって遊んだ思い出ばかりです。小学校から帰ると、ランドセルを玄関先において家を飛び出す活発な少年でした。夏になると、虫取りや魚釣りにあちこち飛び回っていました。
東村山は都内では緑が多い方ですが、私が幼少の頃は今とは比較にならないくらい自然が豊かでした。
また、今では少なくなりましたが、友達の家に遊びに行っても鍵はかかっていませんでした。近所でいたずらをすると、必ず叱ってくれるおじさんやおばさんがいました。よく叱られたせいか(笑)、はっきりと覚えています。
のどかな田園風景と、しっかり根付いていた地域社会。それが私の原点です。
私が高校の頃「就職戦線異常なし」という映画がありました。超売り手市場だったバブル期の学生たちの就職活動を描いた映画でした。
また、当時アルバイト情報誌の「フロムA」は、週2回の発売で、週刊少年マンガ雑誌くらいの厚さがありました。景気の良さを象徴していたと思います。
その後バブル経済は崩壊し、就職は年々厳しくなりました。私たち団塊ジュニア世代(第2次ベビーブーム)の就職時には、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、山一證券など大手金融機関が次々と破綻しました。
「リストラ」という言葉がテレビや新聞で使われ始め、戦後の日本型終身雇用制度が崩れつつある中、私は社会人としての第一歩を踏み出したのです。
この頃の私の中には、社会環境に対する不安と、漠然とした「何とかしなきゃ」という思いが交錯していました。
「選挙の手伝いをしないか?」
政治とは無縁のサラリーマン家庭で育った私にとって、政治に携るきっかけは学生時代の先輩からの一言でした。
当時、日本の政界は激動期でした。日本新党ブーム、非自民の細川連立政権発足、自民党の下野。その後自社さ連立政権発足、新進党や民主党の結党などなど…。首相も政権政党もめまぐるしく変わりました。
また、阪神大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件など社会不安に繋がる事件が多発し、緊急事態の危機管理の重要性を痛感しました。
そんな中、私は政治を志すため、サラリーマンを辞めました。
とは言っても政治に特別な「つて」などなく、飛び込み営業で出来得る限りの雑用、手伝いを買って出ました。
選挙ボランティアの合間にはアルバイトです。経済的な安定など望むべくもありません。
風呂なしアパートで生活をしながら「日雇いアルバイト」「パート」「派遣社員」と様々な雇用形態で働くことで、働くことと政治の関係について深く考えさせられました。年金や保険のありがたみ、重要性を肌で感じることもできました。
25歳で被選挙権を得たばかりの頃、兵庫7区から衆議院選挙立候補のお話を頂きました。選挙ボランティアや議員事務所の雑用、雑巾掛けに明け暮れていた私には、本格的に政治に携わる大きなターニングポイントでした。
兵庫県と言えば社民党党首土井たか子氏(当時)のお膝元。私にとって、兵庫は完全にアウェーであり不安もありましたが、迷わず身一つで西宮市へ行き、部屋を借りました。
あいさつ回り、チラシ配り、ポスター貼りの日々が始まりました。この時、お隣の選挙区の小池百合子衆議院議員には力強く応援していただきました。
支援組織も資金力もなく、当時の私にはひたすら若さと気合だけでした。大学の校門前でチラシを配り、演説をし、そういった街頭活動で共感を示してくれた学生や、同世代の仲間に手伝ってもらいました。そのうち、チラシを配ってくれる人やホームページを作ってくれる人など力を貸してくれる人々が徐々に現れはじめたのです。
地道な活動で共感を得ることができ、力となっていく。その実感は私に希望を与えてくれました。
結果は、47,303票で次点落選。
地域の方から見れば、私はどこの馬の骨かわからない若者だったと思います。にもかかわらず、これだけ多くの方々がご支持を下さったことを、私は一生忘れません。
2001年9月、政府与党東ティモール訪問団として、独立直前の東ティモールへPKO視察に行きました。これは、国連やティモール暫定政府から日本政府に対して、PKO(国連平和維持活動)の延長要請があり、現地を視察する必要が生じたためです。
当時大統領候補のグスマン氏(初代大統領、現首相)、ノーベル平和賞受賞者のホルタ氏(現大統領)、アルカティリ氏(初代首相)などの現地指導者や、国連事務総長特別代表のデ・メロ氏など国連関係者と面会をし、直接話を伺うことが出来ました。
グスマン氏らは元々独立運動のリーダーでした。占領していたインドネシアのスハルト政権からは「ゲリラ」と言われる存在だったわけです。ゲリラから大統領へ。すごいことです。
何度投獄されても独立をあきらめない、彼らの政治に対する熱意とリーダーシップに強く感銘を受けました。
その後は故郷である東京・東村山に戻り、市議会議員に立候補しました。
政治とは無縁の家庭で育った私には、地盤(支持組織)・看板(知名度)・カバン(資金力)のない中での、厳しい戦いでしたが、地域の皆さんからの力強いご支援を頂き、1期目は2,898票で最年少(29歳)2位当選、2期目には4,017票で最年少トップ当選を果たすことができました。
初当選以来、市民相談や座談会を行い、皆で車座になって語ってまいりました。地元行事やボランティア活動に積極的に参加することで、地域の皆さんと一番近い立場である市議として活動してこられたことが、私の財産です。
野田かずさ、35歳。都議会から日本を変えるべく、邁進していきます。
1973年8月27日生まれ 35歳
衆議院議員小池百合子元秘書
都議会議員 倉林辰雄事務所長
まりあ幼稚園
秋津東小学校
東村山第六中学校
早稲田大学高等学院
早稲田大学卒業
元サラリーマン
東村山市議会 生活文教委員長
東村山市民生委員推進会 委員長
東村山市学校保健会 顧問
(社)中央政策研究所 研究員
北朝鮮による拉致被害者を救出する地方議員の会
東京都防衛協会評議員
自衛官募集相談員
座右の銘は「世に生を得るは事を成すにあり」
(坂本竜馬)
空手道場顧問、好きなコミックは「刃牙」シリーズ
趣味は武道、スポーツ、格闘技
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